渋滞

シンハラ正月の休みも今日で終わり。


九日間でしたが、すぐに終わり。
キャンディからネゴンボまで通常なら二時間半。
今日は四時間半も掛かりました。


渋滞もそうなんですが、問題はマナー違反のバカども。
対向車線に飛び出して追い越しを掛けるのは、まぁ良いのです。
しかし無理な追い越しで、対向車が寄ってきた時に本来の走行車線に戻れず、両方向でスタック。
路肩なんて元々から走行車線と化しているので逃げ場が無いのです。
これで一番問題になるのが緊急車両。


この前もあった。
キャンディから妻の実家に帰宅する際、反対車線から救急車。
彼らの本来の車線は渋滞で動かず。
そこで我々の車線を走ってやってきた。
こっちは街から抜ける方向なので、多少余裕があると判断したのでしょう。
しかし、そこはスリランカ
こっちも路肩まで詰まっている。
私は商店の駐車場に空いたスペースへ車を寄せて、緊急車両の走行スペースを確保した。
すると、私の後ろを走っていたジープが、スルスルと前に進み、その空いたスペースを埋める。
窓を開けて、文句言いました。
『お前はアホか!?救急車の為に開けたスペースで、お前のためじゃねぇ!!』


すると前からくる緊急車両に今更気づいたように驚き、手を眼前に出して「ソーリー」的な仕草。
外国人に怒鳴られてバツが悪かったのでしょう。
私の前にあった極小スペースに車を飛び込ませてました。


スリランカ人のマナーの悪さで助かる命が消えて行く。
JICAの支援した緊急車両だったのが、虚しさを倍増させます。
どんな援助をしても、意味ないんじゃないかと思わせられる。


今、熊本でも同じようなことが起きているのかも知れない。
素人ボランティアが良かれと思って集結し、プロ集団に迷惑を掛ける。
我々素人はプロのフォローに廻るという意識で統一されていないと、思わぬ事態を招くものです。
もちろん、現地に飛び込んで献身的に活動されている方々には頭が下がります。
ただし、昨今の状況を見るに災害ボランティアを自己実現の場として認識している人が少なからず居るように思えます。
ボランティアって気持ちいいですから、勘違いする人も出てくるんです。
手助けをしてるという、ある種の優越感。
感謝されることでの満足感。
役に立つということで得られる達成感。


善意で送った物資が受け取られずに集積所で山積みになる。
それに対して憤りを隠せない善意の人。
組織としての活動が制限された状況では荷物の受け取り仕分けも大変な労力です。
当面は必要ではない物資用に(無駄に)場所を確保しなければならず、これでは善意のごり押し。


明確なビジョンが無い場合は、適当に思いついた援助物資を送るのではなく義援金で対応しましょう。
お金で買えないものは無いのですから。