「令和」に決定

新しい元号が発表されましたね。


万葉集からの出典で「令和」。


ちょっと発音しづらいかなとも思いますが、いずれ慣れるでしょう。


「平成」の時もそうでしたけど、これを政治利用しようとする人たちって、何なんでしょうね?
「次の時代がより良い世界になるように」という願いが込められているのが改元の意義な訳で、それを素直に「あぁ、そうゆう願いがあるんだね」って受け止められない大人って、狭量すぎやしませんか?


海外ニュースのコメンテーターたちにも、同じような人たちが幾人か見受けられた。


「中国の古典から選出するという伝統から決別した事実は、安部政権の対中関係を象徴している」
とか
「保守派の政治家たちは日本の古典からの選出にこだわった」
とか。


元号の事なんて、完全に日本の国内事情ですし、海外の人には関係のないこと。
それを報道するのは良いとしても、マイナスのイメージで評価するって、どんだけ厚顔不遜なのって気がする。


中国なんかは「日本人は、やはり漢字を解かっていない」と言っているとか。
「令」は「零」と同じ音で、「零和」となることで【「平和を希求しない」と言っているに等しい】と難癖つけてます。
漢字が難しすぎて若年世代で読み書きが出来ない人が増えているという理由で、漢字を簡略化した結果、記号のような無味乾燥な「簡字」を作った国がよく言いますね。
「簡字」なんて、もはや表意文字ではなく表音文字になってるのに。


まぁいい。
歴史上初めて、中国の古典からではなく万葉集からの出典になったことにショックを受けているのかも知れませんね。
と言いつつも、「令和」の元になった和歌「初春の令月、気淑しく風和らぐ」の典拠(元ネタ)が中国の古詩にあるという指摘が、各所(岩波書店のツイートとか中国文学者とか)で明らかにされている。


そりゃ、そうでしょうよ。
万葉の時代の人たちは中国の本で勉強してたんですから。


これに絡めて、元号選出に関わった人たち、もしくは発表に携わった人たちのことを「元もとの出典が中国の古詩に由来するという事を伏せているのは見苦しい」などと言う人も居るそうですが、何が問題なのか解からない。
政府関係者も「国書から選出した」とは言っているが、その理由は以下のとおり
【(万葉集は)わが国の豊かな国民文化を象徴する国書です。これは世界に誇るべきものであり、わが国の悠久の歴史、薫り高き文化、そして四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄はしっかりと次の世代に引き継ぐべきであると考えている】
と述べているに過ぎない。
別に中国との対比をしているわけでもないし、排外的な発言でもない。
なのに殊更「中国の色を排除するという目的があった」かのように、揚げ足を取るのは実に奇妙。


仮にそういった理由があるのであれば、余程の馬鹿じゃない限り、ひらがなの元号にしないとオカシイと気づくはず(ひらがなも元は漢字だけど)。
だって、漢字は元々中国からの輸入文化なのだから。
千年以上の時が経とうと、その事実は変わらない。


あと、「世界はグレゴリオ暦を使っているのに、日本は過去の慣習に従っていて滑稽だ」とか「排外的だ」とか言うのもアホらしい。
暦(せまい意味での「こよみ」)は地域に根ざしたものであって、それによって季節の移り変わりや、行事遂行の目安としていた。
「こよみ」って元々はそうゆう意味でしょ?
それに対して、世界との距離が現代のように狭くなると不便だからという理由で統一したものを利用しようとなった時に、たまたま力を持っていたのが西欧列強だった。
そして彼らが使っていたのがグレゴリオ暦だったから、それを利用しようとなっただけ。
実際、仏教国では仏暦を西暦と併用しているし、中国人が一斉に帰省する春節旧正月)は中国暦に基づいたもの。
イスラム世界ではヒジュラ暦も使う。
どこの国も、グレゴリオ暦を使用禁止にしているわけでも無い。




文句ばっかりになってしまったので、話を変える。


先日、友人たちとの会話で「子供の頃、明治生まれとか凄く昔に感じた」という話がでた。
昭和生まれの自分たちからすれば、昭和のまえの大正のさらに前、ですからね。
で、みんなが気づくわけです。
「令和生まれからすると、令和のまえの平成のさらに前」なんですよね、昭和って。


なんか、一気に老けた気がしました。