ある俳優の死

昨日のこと。
ある有名俳優さんが自宅で死亡しているのが発見された。
状況からは事件性がなく、病死とも違う。


つまり自死


個人的には名前を聞いた事がある、というぐらいの認知なのですが、この事件が社会に与える影響は大きなものなのでしょう。
ニュースでは、トップ。
速報も流れたよう。


報道の内容を見ていないので詳しいことは分かりませんが、まだまだ報道姿勢に問題があるのは、すぐに判った。


まずは、自殺の手段を報道してしまっていること。
今となっては権威が失墜してますがWHOのガイドラインにも記載されています。


・具体的な自殺の手段は報道しない


報道してますね。
まぁ、一社が先行して報道した場合、他社もあとに続くしか無いというのも気持ちは理解できるけど。


あと
・繰り返し報道しない
って言うのもあるんですけどね。
まぁファンの方たちにとっては衝撃的な事ですから、続報や詳細、背景を知りたいという気持ちも解る。
でも、それが後追い自殺を誘発する事も知られた事実。


古くは心中ものの浄瑠璃
「ウェルテル効果」の語源にもなった「若きウェルテルの悩み」。
太宰治岡田有希子、Hide、上原美優などなど。
有名人かどうかも関係ない。
一般人が火山の火口に飛び込んで自殺した後、同じ方法での自殺が急増することからも解る。


自殺はツライ現実から逃避する最後の手段であるとのイメージがあり「逃げても良い=自殺の肯定」に繋がるのでしょうか。
もちろんツライ現実に直面したら「逃げても良い」のだけれど、それは自死を選ぶこととは違う。
真面目だから途中で逃げられず、どうしようも無くなって発作的に、という場合も多い。


そう、発作なんです。
つまり(心の)病気なんです。
そして、この病気は伝染する。


病の元を断つためのカウンセリングや、余裕のある社会を構築することは必要。
そして、伝染を抑制するには情報という感染源を遮断するのが早い。


「死因とか知りたい」っていう人が居るかもしれませんが、有名人だからと言って、他人の死因を知ってどうするの?


そりゃぁワタシも、お気に入りの作家さんなんかが亡くなった時は「え、どうして?」って思うけど、「胃がん切除後に肺への転移が発見され、その後の長い闘病生活の末、昨日未明、多臓器不全で亡くなられました」とか要らない。
「癌で亡くなられました」ぐらいで良いでしょう。


今回の死因は「縊死」と言われて居るけれど、これって前々から思ってたけど、死因なの?
どちらかと言うと「間接的要因」だよね。
「脳の機能障害」とか「呼吸の停止」とかが直接的な死因でしょ。
それで、良いのでは?


そもそも自殺だったことを本人が世間に知ってもらいたかったのか?
あと遺族ね。
WHOのガイドラインには
・遺された人へ、充分な配慮をする
とある。
これは、自殺しきれなかった人と、遺された家族への配慮。


自殺で生き残ってしまった、いわゆるサバイバーは、当初は自己嫌悪に陥るという。
「自殺すら出来ない自分」
集団自殺では「自分だけ生き残ってしまったことへの申し訳なさ」など。
しかし、「申し訳なさ」が語られる事自体で判るのは「生きている自分」のほうが「死んでしまった仲間」よりも優位な状態にあるという事なのです。
「申し訳なさ」を感じる時って、そうゆう時でしょ?
事実、サバイバーの多くは「死ななくて良かった」と、後々になって思うとか。


ただ、ここで問題なのは「自殺(未遂)」をするまでの状態になったからこそ、周りの助けを得たり、環境が改善されたり、前向きな大きな決断ができたりした可能性があるってこと。


その前段階で「自殺(未遂)」をする事なく、その好転変化は起き得たのでしょうか。
そこは難しい問題です。




ワタシの知り合いでも自殺を選んだ人が居ます。
もちろん、本人はそれだけ深く悩んだのでしょう。






もしかしたら「冷たい人間」だと思われるかも知れませんが、ワタシの感覚からすれば「もったいない」し、遺された側にすれば「迷惑」でしか無い。


生きていれば楽しいことはたくさんあるし、それを投げ捨てるのは本当に「もったいない」ですよ。
そして遺された側に「自分にも何かしら手助けが出来たのでは」という罪悪感を植え付ける罪深い行為です。


大抵の嫌なことやツライ事は、時間の経過で薄まっていく。
「忘れる」という機能は、生きていく上で人間に備わっている防御反応。


発作的に死を選ぶくらいなら、仕事を休んでも、電話に出なくても、約束を破っても、期待を裏切っても、弱みを見せても、人に嫌われても、全然大丈夫。


何の問題もない。


発作ですから。
やり過ごして回復を待てば良いんです。


やり直しの出来ない事なんて、実は思ってるより少ないですから。




最後に、故人を中傷する意図はありませんが、言葉がキツくなってしまったかも知れません。
家族の同意のある「安楽死」以外の自死を、一人でも少なく出来ればと思って出てしまった言葉です。
ご容赦下さい。