妻と待ち合わせ

午前中で仕事の終わる妻とキャンディで待ち合わせ。


8時半スタート11時半終了と聞いていたので「まぁ12時にキャンディに着いて待ってれば良いか」と思っていた。
時間通りに終わらないだろうと予測してね。
すると10時半に電話。
もう終わったらしい。
しかも9時半スタートで。


3時間のプログラムが一時間で終了。


タイムマネジメントが疎かすぎる。


ワタシも12時予定が12時半になったのは御愛嬌。


妻の仕事に必要な細々したものを買って、食材も買って帰宅。


バスの座席に座っているワタシの横に立ち、大声で喋りまくるマスクの無いおばちゃんに辟易としながら帰宅。


日本人のマスクへの信頼というか馴染みは凄いと改めて思う。


コロナ以前から花粉症対策として慣れ親しんでいたのは大きな理由だと思うけれど、その前からインフルエンザや風邪などで習慣化されていたのは大きい。


高校時代に理由は定かでは無いが一年中マスクをしていたクラスメイトが居た。
彼に対しては違和感しか当時は無かったし、今思えば「マスクマン」と言うあだ名を付けて陰で呼んでいたのはある種のイジメだったなぁと思う。


申し訳無いことをした。


もっと遡ると、小学生の頃はマスクなんて年に一回使うかどうか?
給食当番の時ぐらい?


時代的なことで言うと、時代劇に出てくる御典医なんかは垂れ下がりタイプのマスクをしている印象。
高貴な方に直接触れることも憚られるという理由から、脈を診るのも糸を手首に縛って診ていたとか。
マスクも同様な理由から、吐息を直接吹きかけない事を目的としたのでしょう。
さらには、仏壇のロウソクや線香も息を吹き掛けて火を消すことはしないですよね。
この辺りはスリランカも同様。
仏像さんなんかに線香をお供えする時には、火は手であおいで消します。


まぁスリランカの話は置いといて、上で書いたような文化背景が日本のマスク文化に影響を与えているのかなぁと思う。


タイなんかも普段からマスクしている人が多い印象ですが、あれは大気汚染からですよね。
日本の花粉症対策と同じ部分に大気汚染対策が来てる感じ。


長く書きましたが、他人がマスクをしていなくても注意して装着を促すような事は、オススメしない。
余計な軋轢を産むだけ。


マスクをする理由は、コロナがどうこうって話では無いんです。
ワタシのくっせぇ吐息から周囲の人を守っていると考えてやってます。