バイアス

ウィル・スミスが「今、人生で一番最悪な体型だ」とキャプションを付けて、少し緩んだ体型の写真とともにソーシャルメディアに投稿した。


それを見て、
「私も!!」
「リアルな体型」
「美しい」
「有名人も完璧ではないと知ることは重要」
「2021年で最高の投稿」
などと絶賛されてるとか。


アホらしい。
なんかソーシャルメディアとかSNSでの絶賛って陳腐だよね。
逆も然りで、絶賛も批判も大げさ。


「ありのままの自分」で居ることが美しいとか褒められる対象になってるけど、これって過度な刷り込みから自分を追い込んでしまう人たちの反動ですよね。
細い方が美しいと「思い込んで」拒食症になり、ある時だれかの意見で目が覚めて「自分らしく」て良いと気づく。
そこからヨガとかピラティスとか筋トレにはまってプラスサイズの自分を誇りに思う。
凄く美談っぽいけど、なんかお決まりのパターンで、、、、ね。


ワタシの個人的な感想としては、随分と思い込みとか他者からの刷り込みに弱いよねって思う。
「自分らしく」という「他者」の意見に影響されてるのが、もう面白い。
あと、そうゆう考えの人たちはウィル・スミスが「一番最悪な体型」と言っている事には触れない。
緩んだ体型は美しくないというメッセージを送っているのは許せない!!とかは言わないよね。


認知バイアスというか、最初っから自分で思考して判断する癖が付いて無いんだと思う。
たまたま昨日、知り合いが共有してた写真も同じ事が起きてた。
トヨタランカというトヨタスリランカ販売代理店かな?
その公式Facebookがシェアしていた写真で、サファリ内でレクサスの目の前をヒョウが歩いているもの。
左車線車列を追い越したのか、対向車線に停車しているレクサス。
その目の前1メートルぐらいを悠々と歩くヒョウ。
これに対して
「対向車線に出ている運転者を容認するのか?」
「パーク内のルールに違反する行為」
「ヒョウに近すぎ」
「野生動物へのリスペクトに欠ける」
なんていうコメントがズラリ。


これって批判ありきでスタートしてるのよ。
そこに気づいた自分は目の付け所が良いだろ?っていう(今のワタシもそうですけど)。
なので、後に続く人間の論点が的はずれになっていくことが往々にしてあるのです。
対向車線の話がそもそものスタートで、これは至ってまともな批判。
パーク内のルール云々も良い。
そこから「ヒョウに近すぎ」は、もうオカシイ。
左車線に止まっている車も同じ状態ですからね。
しかも、サファリ内では動物を見つけた車が停車して、それに対して他の車が「何か居たのかな?」と思い続けて停車していく。
車がヒョウに近づき過ぎなのでは無くて、ヒョウが近づいて来たと考えるのが普通。
でも、そこに思い至らない。
だって、批判したいのだから。
野生動物へのリスペクト云々は、レクサス関係ない。
サファリ自体への批判なので、論じる舞台が間違っている。


「自分というものが無い」と言いたい訳じゃない。
人間は自己矛盾を抱えて生きてるもんだし、他者の意見で気づくことも実際には大いにある。
ただ、最初の話で言うと「自分らしく生きる」っていうのが既に「他者の生き方をコピーしてる」というのが面白いなと思うだけ。


最近ではあんまり使う人も居なくなりましたけど「自分探し」も、同じ匂いがする。


そんなに簡単に「自分」って変わらないので、他者の意見で影響されることはあっても、結局は自分で思ってた事の背中を押してくれたってぐらいの事ですよ。
それをみんな大げさに言い過ぎ。
あと、他者の視線とか気にしすぎ。
自分が思ってるほど他人は気にしてないから。
100人居たら、その100人全員から好意を持たれたいの?
どんだけアホなの?
友人に言われた「太った?」という一言で、拒食症になるほどダイエットしてしまったって話はよく聞くけど、ぽっちゃりが好きって人の意見は何故排除したの?
結局は自分でも思っていた事に対して、他者からの意見という理由が欲しかっただけ。


思い込みが強い自分を許しても良いんだと気付かせてくれた。
これもテンプレートですけど、正直飽きた。


最近、暇なんですよね。
だからかな?どうも口が悪い。
ワタシも「自分探し」しますわ。
その前に「仕事探し」も必要ですけど。