全100話に及ぶドラマが、昨日無事に終了。
少し長くなるかも知れませんが思ったことや感じたことを書いておきたい。
偶然回ってきたお誘いを軽い気持ちで受けたことで始まった、今回のドラマ出演。
最初は「ネタになれば良いや」ぐらいの気持ちでしたが、撮影を重ねるごとに「いい作品にしたい」という想いが出てきた。
それはやはり、現場のスタッフが真剣に取り組んでいたからだと思う。
スリランカで仕事をする上では仕方のないことだと思うけれど、もちろん日本で育った常識人からすれば不十分だと思えることも多かった。
時間の管理、モノの下準備、連絡の行き違い、、、、。
それでも放映を飛ばすことは出来ないので、最低限のところで管理は出来てる。
他の仕事で遭遇するような「他人事」な仕事感覚ではではなく、そこに居る全員が「自分事」として認識していることからくるプロ意識は感じた。
その状況に置かれれば、自ずと真剣に作品のことを考えざるを得ないし、そうなればなるほど演技をすることに緊張が伴う。
現場には10人以上いるし、カメラも数台。
実際の経験からすると、そこは意外にもすぐに慣れる。
共演者との会話シーンなんかではカメラが視界に入らないこともあるし、気分的には忘年会の出し物をやってる感覚と変わりない。
でも、カメラの向こうに視聴者が居るってことを考え出すと、もう怖い。
NG連発で共演者に迷惑を掛けたくない、なんてことを思ってドツボにはまることも数回。
共演者のセリフに合わせた相槌。
相手のセリフが終わったことを確認。
マイクが自分の近くに来たことを視界の端で確認。
感情をこめて表情を作る。
二人での会話ですが、そこはドラマなので声のボリュームもちょい大きめ。
単調にならないように身振りも付けつつセリフ。
この作業を母国語では無いシンハラ語で、さらに普段は使わない言い回しで演じるのです。
結構な厳しさです。
前もって台本を渡してくれるように頼んでも、なかなかそれは実現せず、ほとんどは「はい、これ今からのシーンね」と言って渡される。
もちろんシンハラ文字。
まずは自分のセリフを読んで音の流れをつかむ。
前後のセリフでストーリーを理解し、感情を確認。
衣装を替えて、共演者と読み合わせ。
台本に載っていない状況をスタッフと確認。
実際の立ち位置で、動きを付けたリハーサル。
そこで、カメラの位置、動き、ライティング、マイクの移動を確認。
で、すぐに本番。
あれ、なんですかね?
役者さんてアーティスト感覚が強いからなのか、リハーサル通りに本番ではやらなかったりするんですよね。
いわゆるアドリブ。
ドラマが進行していくうちに脚本家が考慮していなかったキャラクターの性格や癖、なんていうのが自然に付いてくるんです。
作中のリベラという人物でいえば『紅茶のむか?』っていうのが口癖になったし、自信家だけどおちゃめな部分もあり、部下(ワタシね)にはボスというよりは年下の知り合いという感じで接する。
こんなことは、脚本にも書いてないし、最初のキャラクター設定には無い。
ワタシはと言えば、ボスはボスとしてある程度従順な態度で接するが、良いたい事も言うし、どちらかというと無口で淡々と仕事をこなすタイプ。
教育はさほど受けておらず、難しいことは判らないが、たまに本質的な物事の捉え方をして、ボスに重要な示唆を与える。
一度スタッフに「もう少しピシッと立つと、カメラ映りも良くてキレイ」という感じのことを言われたが、「このキャラクターは、そうゆう性格では無い」と伝えると、そばに居た監督が「うん、それでいい。ジン(ワタシの役名)は礼儀正しく生きてきた人間では無いし、ボスとの関係性も友人感覚があるのだから、今のままで良い」と言ってくれた。
実際の撮影の話に戻ると、前のシーンと光の具合が変わってしまったり、マイクの竿が影で映ってしまったり、調整するべきことは多い。
周囲の雑音や野次馬の映り込みを排除し本番を撮影するけれど、カメラワークの問題で角度や距離を変えて何度か撮影するようなシーンも多い。
そんなこんなで一つのシーンを終えると、「これ次のセリフね」と言って台本を渡される。
これを一日に8~10シーン。
脳みそが焼き切れそうな感覚です。
現場の雰囲気の話をすると、すごくアットホームな感じ。
スリランカのフィルム業界では、仲間やスタッフのことを「お兄さん」「弟」と呼び合う。
Mr.○○とか○○さん、という感じでは無いんです。
これは、上下関係に捕らわれずチームとして動く雰囲気を作ることに貢献していると思うし、独特の文化だと感じた。
出演者の家族や恋人なんかも気軽に遊びに来るし、実際ワタシも妻を連れて行きました。
大御所俳優が「ナンギ(妹の意)」と気軽に声をかけてくれるし、たまたまクランクアップの日だったので夜に小さく打ち上げをしたのですが、そこでも主演の若手俳優が「アッカー(お姉さんの意)」と呼び掛けて、自分自身の隣に席を用意してくれたり。
先に帰る我々夫婦に「ちょっと待って、これ美味しいから」と言って残った料理を折り詰めにして持たせてくれたのは、ちょっと笑ってしまった。
俳優も監督も、スリランカ人に聞けば誰でも知ってるような人。
そんな彼らが、外国人のワタシのみならず、その妻という言わば作品とは関係のない人間を仲間として扱ってくれる。
これはスリランカ人の多くが持ち合わせている特性かも知れませんけどね。
昨日の最終回の話をすると、ワタシのボスが逮捕されることでメインのストーリーは決着を見た。
ワタシも逮捕されて、その写真がニュースで流れると聞いていたのですが、実際にはボスの写真のみが使われた。
ちょっと残念でしたが、ドラマの終わり方を見て気分がすこし変わった。
というのも、この作品の監督が手掛けた別作品の主人公が、今回の敵役であるマフィアのボスと車中で会話しているシーンで終わったのだ。
別作品はカジノを舞台にした少しアンダーワールドなもの。
その主人公が、今作のマフィアと仲良く話してる。
YouTubeのコメント欄にも「Wes(前作)とDaam(今作)が、ここで交錯するの?え?ってことは二作品をミックスさせた続編来る?」なんて期待がちらほら。
そうなれば、ワタシが死んだり逮捕されたという事実がドラマ上で語られなかったことで、次回作に出しやすくなるはず。
逮捕劇を逃げ切ったジンがボスを脱獄させて、、、なんていう妄想が広がります。
まぁ、ホントにただの妄想ですけど。
続編に期待せず、他の作品に出る機会がないかアンテナを張っておきます。
スリランカのドラマに東洋人を出す必然性が、どれほどあるのか?
必然性だけで出演者を決めるわけでは無いですけど、無理のないレベルでは必要。
例えば、田舎を舞台にした恋愛劇に東洋人は異質すぎるでしょ?
そうゆう意味では狭い範囲の話ですが、その狭い範囲で大きなシェアを狙っていきます。
長い文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。