公正な社会

公正もしくは公平を期する余り、本来の目的を見失うことがある。
日本だと「ワクチンを打つ順番」で、なんか問題起きたよね。
自治体のトップが予定より先に接種された事で「順番を守れ」みたいな?


ワクチンって順番に打つことが大事なの?
一人でも多くの人に打つのが大事なのでは?
誰もが納得する順番なんてそもそも無いんだから、文句言いたいだけだよね。
公平とか公正を盾に個人の主張を言うだけの、不寛容な世の中になってきてますよね。


大規模接種会場でも「一時間も待たされた」とか、、、。
日本人は甘やかされ過ぎて、おかしくなっとります。
提供側のレベルが高いので、それを当たり前と勘違いした輩が「やってもらって当たり前」になっている。
コンビニとかファミレスの接客もレベル高いよ、日本は。
時給1000円で働いてくれてる人に、どこまで要求するの?
そうゆう人って、他人に言うだけの事を自分自身はやっているのでしょうか?
さらに言うと、例え自分がやっていたとしても、それは他人に強要する理由にはならない。


公務員とか政治家になら何を言っても許されると思っているのでしょうか?


スリランカに於いても、色々と文句や要求が出てます。
「要求しなきゃ変わらない」というのも一理あるんでね、良いと思います。
ただ、良識に基づいて批判する事を忘れては困る。
困るというか、見てて恥ずかしい。
自分の立場でしか物事を見ることが出来ない人が多すぎる。
一見すると素晴らしいコメントっぽくても、実際には実現不可能な提案だったり、それこそ本来の目的を忘れてたりね。


批判すること自体は否定しない。
でも批判することが目的化してしまうのは、やはり違う。
前にも書いたけど、改善の余地が無いものを批判するのも違うし。
だからと言って「批判するなら代替案を出せ」と言うのも、よく言われるけど個人的には違和感。
これって批判ばかりしてる人に対して言いたくなる言葉ですよね。
文句ばかり言ってる人を攻撃するのが目的なのに、批判自体を封じ込めることになっているのは、一種の言論統制だよ。


代替案なんか無くても批判して良いに決まってる。
なんとなく感じた違和感を共有することが改善のスタートだよ。


大事なのは自分のためなの?みんなのためなの?って言う部分でしょ?


まぁ気持ちは判るけどね。
会議とかで文句ばかり言われると嫌になるし。
でも、そこもズレてるんですよ。
「代案の無い批判はするな」では無く「貴方がしているのは非難です、正しく批判して下さい」と言うのが本筋。
でも、そんな事は会議で言えないしね。


粗さがしや、否定するための非難。
自己防衛や自己正当化を目的とした場合にもよく見られる。


目的は?って常に考えないとね。