ヘイトスピーチの和訳は憎まれ口ではない

ジェネレーションギャップという言葉で全てを片付けてしまうのは好きではない。
あと、文化の違いとかも、そう。


しかし、考えても考えても合理的な理由が見つからない場合は、これらの言葉に頼ることになる。




これだけネットで様々なものを調べることが可能な時代に、どうして?
ある男性。
パソコンは最新のWindows10。
Wifiという言葉も理解している。
なのに英単語を調べるのに、ポケットディクショナリを使用する。
いや、紙媒体ならではの利便性は理解できますよ。
隣同士に似たような単語が並び、使用方法や例文なんかも同時に参照できる。
でも、ポケットディクショナリでは、その有用性は極限られた部分だけでしょう。
不思議です。


バスでの移動。
庶民の足。
普段はのんびりしてるのに、バスが終着点に着いて下車するときだけ異常に慌てるのは何故?
終着点だし、全員降りるんだからさぁ。
押し合いへし合いする意味ないでしょ?
理解できません。


運転中の出来事。
スリランカの多くの車両で見かけることですが、何故かウィンカーを出しっぱなしにしている。
常に追い越しを狙って居るというのなら、まだ理解できる。
スリランカは日本と同じで左車線が通常の走行帯。
なので、右側にウィンカーを出しているなら、そうなのでしょう。
ですが、左を出しっぱなしで走る車も一定数いるのです。
そこで「あぁ、この先で左側に寄せて止めるつもりなのか」と考えて私が追い越そうとすると、右側に飛び出してきたりする。
意味不明です。


エレベーターとかになるとね。
一階でエレベーターが降りてくるのを待っている時、正しいボタンは『上』ですよね。
自分が行きたい方向のボタンを押すのが正解です。
スリランカでは「エレベーターを呼ぶ」という考え方で凝り固まっている人たちが居る。
つまり上にあるボックスを『下』方向に呼ぶのです。
すると何が起きるか。
一つのボックスに上に行きたい人と下に行きたい人が混在することになる。
時間の無駄ですね。


『外国に住んでると色々あるんです』とか『日本とは違うんで』とか、その場その時に応じて理解できないことを棚に上げるには便利な言葉。
でも、その言葉の中には偏見とか差別とかが微量に含まれている気がしてならない。


よく聞くのが『スリランカ人は・・・』とか『ムスリムは・・・』なんて言う言葉。
『B型の人はこれだから・・・』みたいのと同じです。
血液型での性格判断を否定するつもりはありませんが、全人類を4つのパターンには別けられません。
スリランカ人もムスリムも一つでは括れないのです。
当たり前。
上述の言葉が出てくるときは偏見が混じっていると考えてなければならない。


なので、私も極力使わない。


ジェネレーションギャップとか文化の違いというのも、同じ範疇だと思っている。


とすれば上のような事態に遭遇した時どうすれば良いか?
スリランカはこうゆうとこ有るよね』と考えるのではなく、『こいつは馬鹿じゃないか!?』と個人のレベルまで落とし込みましょう。
もしくは『注意してくれる人が居なかったんだね、可哀想に』と同情してあげましょう。


これでヘイトスピーチ対策もバッチリです。