ちょっとしたアルバイトのつもりで引き受けたのですが、
いやぁ、大変でした。
現在、年の瀬も押し迫った12月31日。
まとめて更新してます。
本日はムラティブという内戦時の激戦地帯に視察です。
難民キャンプからの避難民を対象に活動されているJICA専門家さんのサイトです。
LTTEが武器弾薬などを密輸した時に使用したという貨物船。
いまでは観光地になっており、軍の運営するカデーもありました。
そのうち入場料とか徴収するかもね。
強制退去を命じられて、家財道具を持ち出すのも禁止された避難民。
殺された家族の葬式を出す、そんな時間的猶予も与えられませんでした。
貴重品や服、そして殺された家族を埋めた穴。
それを探すためにそこら中に掘りかえされた跡があります。
専門家さんの支援で、活き活きと生活している避難民が居る一方で、
そうではない避難民もまだ大勢・・・。
そして今日は2004年のスマトラ沖地震から8年の記念日。
南部同様被害の大きかったこの地域ですが、彼らはその後に内戦でも
家族を失っている。
「津波の式典?それどころじゃないよ、内戦の後片付けはどうなってんだい?」
そんな感じなのかもしれない。
事実、南部で盛大に行われる津波慰霊祭が、こちらでは行われない。
そして今は、大雨による洪水。
こんな事ではそのうち不満が爆発するのでは・・・。
そんな事を考えてしまった。
ホテルに戻り一日の振り返りをする御一行。
毎日のルーチンなのですが、この時に団長さんが、
「今日は12月26日。8年前に津波の被害がありました」
と話を始めてくださり、全員で黙祷を捧げようと提案して下さった。
涙が出そうなほど嬉しかったのだけれど、
「あれ?俺、いつの間にか、スリランカ人?」と、戸惑ってしまった。
やれやれ、だぜ。