キャンディにいつ行くか

日本は「建国記念の日」で祝日ですね。






特に思うことは有りませんなぁ。
今まであまり考えたことも有りませんでしたし、現状で私にとって何も関係が無いですからね。


早く再来週のポヤにならないかなぁとか、思うだけです。


来週は、ネゴンボにまたも奥さんが来てくれるとのこと。
「どうせサッカーで週末は居ないだろうから、月曜日に行く」だってさ。
良く解ってらっしゃる。
そうなると、土曜日の仕事終わりで一緒にキャンディに帰れる。
二週間連続でキャンディに帰ってないし、今週末もサッカーに行くので無理。
奥さん曰く、月曜だか火曜に親戚の誰かが他界したそうなので、その挨拶にも行かねばならない。
どこの国でも親戚づきあいというのは、色々と大変です。


亡くなったのは親戚のお婆さんなんですが、一回ぐらいしか話したこと無い。
うちの奥さんのお義母さんの父親の弟の奥さんになるのかな?
まぁ、端的に言えば他人ですかね。
顔も覚えて無いですし、名前も勿論知らない。
でも挨拶に行かないわけにはいかない。
The 親戚づきあい です。


『血は水よりも濃し』なんてことわざが有りますが、類似したことわざが思いつかない。
反対に対義語とも言える『遠くの親類より近くの他人』で考えてみると、『氏より育ち』とか『兄弟は他人の始まり』なんてのが思い付く。
成句の多さは心情の強さに比例しているのでは無いでしょうか?
つまり皆、親類なんてたいして大事に思っていない証拠?


アラブ社会では、自分の血を引かない子供は養子に出来ないとか、親類を大事にしないのは罪だなんてことがコーランに書かれていて、非常に重視されるとか。
自分の血を引かない子供は養子に出来ないって、自分の血を引く子供しか養子に出来ないってことでしょ。
自分の血を引くって、普通に考えれば養子にするまでもなく子供なわけですよね。
そりゃ、色々と複雑な家庭環境もあるのでしょうけど、他人を養子に出来ないって、意味が分かりません。


で、言いたいのはわざわざ書かないとダメってことは、皆が大事にしないから守らせるためでしょ?



家族なんだから、親戚なんだからと色々な義務や責務を押し付けられるのは御免被りたい。
まぁ、嫌ってるわけでは無いから挨拶行くけどさ。
アホな親戚とかなら、行きません。





そう言えば、今の職場に移ってからの初手当が昨日出ました。
まぁ充分に生活は出来るけど、という感じです。
察して下さい。


仕方ないですけどね。
一ヶ月目なんて大した戦力にならないですから。