被爆地への挨拶文

広島と長崎への首相の挨拶文が酷似していると言う話が話題になっているようです。


80~90%ほど同じだとか。


ネットでは過去の挨拶文を引っ張り出し、差分を比較したサイトなんかも出来ている。
これに対しての批判の焦点はいくつかに絞られる。


・オリジナリティが無い
・極端に短い年がある
・広島と長崎でコピーペーストが目立つ
・というか定型文で固有名詞を変えているだけ?
・文末を変更する事はオリジナリティでは無い


結論は、被害者に寄り添っていない。





お疲れ様です。




ワタシの個人的な意見を言わせて貰えば「別に問題ない」と思う。


客観的に見て同じ時期に同じような被害を受けた被爆地に対して、オリジナリティを出すのは単純に難しい。
スピーチライターの技量を問題視する意見もありましたが、過去の挨拶文まで比較対象にされては、ちょっと可哀想。
同じ事象に対する先行事例が数十スピーチに及ぶのですよ。
今年の時事ネタを入れ込むぐらいしかオリジナリティは出せない。
しかも、ヒロシマで使った時事ネタをナガサキで入れないのもおかしいでしょう。


ヒロシマでは触れたのに、ナガサキでは言及しないのか?」なんていう批判が出るに決まっている。


短くなるのも仕方ない。
長いことが良いと言う人に限って、結婚式のスピーチが長いと「短くまとめる能力も無いw」とか失笑するのでしょう。
さらに、気候変動で熱中症が心配されるような時代にも関わらず、長くしろと?


起きた事象は変わらないのですから、そこにオリジナリティを出すのは無理。
それでも多少は変えて然るべきという人は、試しに10本ほど原爆に対するスピーチを書いてみるといい。
間違いなく同じ内容で重複するから。


起きた事象に対しては、それぞれ個人が思いを馳せる事で充分でしょう。
それとも先の大戦で亡くなったのはヒロシマナガサキだけだとでも思ってます?
他国からの被害という観点では蒙古襲来もそうですけど、首相がスピーチするとは聞いていない。
元寇が現行政府が誕生する前の事件だと言うのなら、東京大空襲に対しては?


もちろん非戦闘員を無差別に攻撃したことに関して、アメリカは非難を免れることは出来ない。
強制的に徴兵されたとは言え、日本兵と米兵に被害が出るのは仕方ない。
原爆で被害を被った人達は気の毒だし、アメリカの行為は許せない。
ただ、立場が変われば発言も異なる事も理解できる。
三四半世紀が過ぎた今、忘れる必要も行為自体を許す必要も無いけれど、お互いの置かれた立場の違いを認める事は可能。
でなければ「1000年の恨み」と言ったパク・クネと変わらない。
そう言った意味でも、アメリカに対する恨み節は薄める必要があるし、結果として挨拶文の内容も限定的になる。




ワタシが思うに首相の挨拶文に求められるのは、国として行動するこの先の展望。
そもそもが「死没者慰霊式」であって同時に「平和祈念式」でしょ?
そこにオリジナリティは要らないよ。
言葉はシンプルに、想いはそれぞれで。


「被害者に寄り添っていない」という人は、そもそも被害者の関係者なのでしょうか?
批判を繰り返す人で「被爆家族です」と身分を明かしている人を見たことが無いのですが。
当事者でない人が当事者の気持ちを勝手に代弁するのは辞めたほうが良い。


なんにでも噛み付く事が「政治参加」だと勘違いしてます?


もう「言葉狩り」「魔女狩り」は必要ない。