安全意識

スリランカは安全に対する意識が、日本と比べると低い。


命の値段が安い国ですから、ある意味、致し方無い事のように思える。
一応、断っておきますが、人間の価値が金銭に置き換えられるとは思っていません。
ただ、交通事故などでの補償を例に取った時に、スリランカでは極端に安いことが想像できます。
仮に事故が起きても、大きな金額を支払わないで済むのであれば、事故低減への対策費というのは、掛けたコストに見合わないということになる。
これは加害者、被害者、行政など、全ての方面に対して言える事。


死亡慰謝料に確たる基準は無い。
国ごと地域ごとの相場があり、それにプラスされて逸失利益と葬儀代、それに死亡するまでに治療を受けたのであれば、その費用。
こういった所でしょうか。
スリランカでは、数十万から数百万が相場で、逸失利益とかの概念は無い気がする(調べてないです)。
田舎では、葬儀費用も積み立てしていることが多いし、治療もスリランカは無料。
費用の補填という意味では慰謝料は不要なのです。


そうなると、やっぱり費用対効果を無意識に考えてしまうのでしょう。


協力隊時代、住んでいた家の大家さん。
子供をバイクの後ろに乗せて事故を起こし、子供の顔に大きな傷跡を残した。
親の手間を省くとか、バス代が勿体無いとかの理由で、子供の安全を蔑ろにしたのだ。


工事現場で裸足とか、サンダル履きで作業している人たちは、スリランカの日常風景。
それも雇い主が補償費と安全対策費を天秤に掛けた結果。


道路で無茶な追い越しを掛けるドライバー達も、損失時間と補償費を比べて、時間の優位性を認めた結果。


軍手、ヘルメット、安全靴、耳栓、マスク。
確かにスリランカでは値の張る商品なのかもしれない。
でも、あんまり売れないから値が張るわけで、日常に普及すれば安くなるのも一理。


高いから買わない。
買わないから売れない。
売れないから高い。


こうゆう部分は法律で取り締まらないと、普及を促すのは難しいのかもしれない。