SNS遮断の功罪

4/30日、SNSが開放された。


スリランカ人の投稿がフィードに出て来るようになったことで、確認できた。


鎮魂、哀悼などに並んで、ムスリムとの対立を煽るような投稿も出てきた。


こうゆう物がすぐさま投稿され、それに多数の「いいね」が付くというのがスリランカという国です。
「世界の四大宗教が共存し、比較的穏やかな国民性」と評される事のあるスリランカ
見方を換えると「各宗教が牽制し合い、プロフェッショナル意識に欠け、怠惰」となる気がする。


民族ごとや宗教ごとに細かいセグメントに分かれているスリランカは、確かにそれぞれが共存関係にある。
例えば鶏肉なんかも
「シンハラ人の仏教徒が鶏の生産を担い、
 ムーア人ムスリムが屠殺し、
 タミル人のクリスチャンが販売する」なんてこともある。
平和な世の中であれば、ね。
経済的な不均衡が目立ち始めれば、これも即座に問題視され、「ハラル認証制度のせいで鶏肉価格が不当に吊り上げられている」なんて事をシンハラ人が言い出す。
平和な時代ですらこんな調子なんだから、何かしらのストレスが掛かれば、すぐに表面化する。
そう、表面化するんです。
つまり、普段は見せないようにしているだけで、対立意識は常に存在しているんです。


政府はSNSへの接続を制限していた。
これに対して「人権意識に欠ける」という人たちが居るけれど、私は良い判断だったと思っている。
表現の自由」を謳うなら、同時にモラル意識の水準も高めねばならない。
浅はかなヘイト投稿をしているのが、そこらに居る普通の女の子だったりする。
でも、一般人が世界と繋がれる現代のネットワーク社会では、その投稿はISISがジハードを呼びかける投稿と大差ない。


対立意識を表に出さずに済むぐらいに落ち着くまで、つまり、まだまだSNS遮断を継続しても良かったのにと思っている。