タイに行ってたお姉さん

義母の妹を後ろで焚き付けている人物。
今まで書いて無かったのですが、本人は関係ないのにちょっかいを出してくるタイプで、意外と影響力がある。
何故なら、一族の期待を背負っていたから。


歳の頃は、アラフォー世代でしょうか。
うちの妻の少し上といったところ。
続柄としては義母の妹(三女)の娘。


幼いころから「美人」とおだてられて育った。
私もそう聞いていたので、どんだけ美人なんだろうと期待していたが、一度会ったことがあるが記憶にないのでまぁそんな感じ。
「美人だからお金持ちと結婚して幸せになれる」と言われ続けたので、碌に勉強もせずいたようです。


彼女の両親はポロンナルワに住んでいるのですが、家が貧しく生活できないので、母親の実家(義母の実家でもある)に小さいころから住んでいた。
年頃になり、私の妻も父親の再婚により義母を通じて親せきとなる。
そして妻よりも年長であることと、自分は美しいと思っている彼女は、妻に対して「あんたは不細工なんだからちゃんと勉強しなさい」とか「私は奇麗だから、車を持っててネクタイをする仕事をしているお金持ちと結婚して幸せになる」とか言ってたらしい。


一時期は、いま私たちが暮らす家にも住んでいたとか。
そしてその頃、彼女を見初めた男性と結婚する話になる。
家族の誰にもいわず、出会って三日で結婚を決めたそうだ。
当時は、ここに住んでいた。
そして、突然家を出て行った。


結婚を決めて、いざ明日が結婚式だという日に、ワタシの妻の父親に結婚式の写真を撮ってくれと頼みに来た。
お世話になっていたにも関わらず無断で出ていき、そして明日の結婚式で写真を撮れと。
さすがに頭に来た妻の父親は「前日に言われても仕事があるから無理だ」と伝えた。
無料で結婚式の写真撮影ができると思っていた彼女は、パニック。
妻の父親は、そこそこ仕事のできるフォトグラファーだったのでね、余計に落胆は大きかったのでしょう。
パニックから怒りに変貌した彼女の気持ちは、暴言へと移り変わる。
曰く
「結婚する私に嫉妬してるから、結婚式に来ないんだ!!」だって。
それを妻に言うならわかるよ。
妻の父親に言う意味は?


妻の父親は相手もせずに追い返したそうです。


で、めでたく結婚した彼女は数年後タイに行くことになった。
旦那の留学先についていくっていうことらしい。
妻の旦那はパーリ語を専攻した人。
大学院なのか、リサーチなのか判りませんがタイで勉強するらしいです。
パーリ語とは、サンスクリット語とかと同様、今では失われた言語。
日常で使う人は居ないですが、仏教の経典として残っている。
これを勉強するのは、主としてお坊さんです。
ヨーロッパでは意味不明な「オリエンタルカルチャー」への憧憬があるので、大学の東洋文化科みたいなとこで教えてることがあるそうですが。
まぁ、とにかくスリランカではお坊さんが勉強するもの。
出家して、お坊さんの専門の学校で勉強して、成績が良ければ大学に行くことができる。
そこで、勉強するのがメインストリーム。


みんな不思議に思ったそうです。
「なんでパーリ語を勉強したんだろう?」って。
お坊さんでも無いのに。


本人曰く「法学部にも行けたけど、パーリ語が好きだったから」と。


数年後、彼の隠していた過去が明るみに出る。
たまたま知り合いだったお坊さんが、彼の同窓だったのだ。
そして「あぁ、あの人は還俗したんだったね」と。


スリランカ人的にはびっくり。


タイなんかでは親族の男子が一生に一度出家することを誇りとするそうだ。
なので、一年とか数か月とか出家して還俗する。
それを大きなお祝いをして迎える。
スリランカでは異なる。
基本的には自身で望んで出家する人は思っているほど多くなく、生活の厳しい家が子供を口減らしするのにお寺を使うのだ。
そして、小さいころから面倒を見てもらったうえで、お坊さんと養子縁組をし、お寺の相続権のようなものも取得する。
こういった流れがあるので、還俗することには否定的。


彼が還俗したと知った義母の親戚一同は「そんなのウソに決まっている!!」と激怒。
私自身は、それを聞いてもなんとも思いませんが、スリランカ人の多くは還俗した人を「初志貫徹せず、受けた恩を忘れ、自身の生活だけを考える人間」と見る。


そんな夫婦がタイに行った。
数か月ぐらいなのかな?
よく知りません。


帰ってきた彼は、まだ大学に行っていなかったワタシの妻に対して「おまえが大学に行けるとは思わない」とか「自分のことはサーと呼べ」とか言ってたらしい。


まだ本来の話に入ってませんが、長くなってきたのであと少しだけ。


タイに行って帰ってきた彼女は「タイランドアッカー(タイのお姉さん)」と呼ばれるようになり、彼女の旦那は「レクチャー」と皮肉を込めて呼ばれ、陰では「ヒーラルワー(還俗した人)」と呼ばれることとなった。


つづく