今日は何を食べるか

海外在住日本人ならではの創意工夫や入手困難な素材の代替品なんかのアイデアを得られればと思い「海外で和食作りを楽しむかい?」というFacebookグループに登録している。


納豆を庭の雑草やハーブから作るというのはココから得た知識だし、役に立ちそうな投稿も多いです。


ここからは完全にやっかみなのですが、シンガポールベトナムホーチミンに住んでいらっしゃる方々が「たまに食べたくなります」なんて言うコメントと共に太巻きや刺し身を投稿していたりしてて、「いやいや、貴方がたはわざわざ手作りせんでもいつでもお店で食べられるでしょ」って思ってしまうのです。
内陸国な訳でも日本食店が無いわけでもない。
シンガポールは外で食べると高くつくのかも知れませんが、シンガポール在住な時点でそれなりの収入は有るだろうし。


「自分で作って食べたくなった」という気持ちがあるのは、いくら便利に安く外食出来ても出てくる感情だと言うのも理解できるんですけどね。


あと、やはり店で提供される和食と家で食べたいものって齟齬がある。
寿司、天ぷら、ラーメンなんて基本的には家では食べない。
だから店で食べれば良い。
でもちょっとした小鉢とか、煮付けなんて狙って注文できる店なんてほぼ無いよね。
ドラマの『深夜食堂』じゃあるまいし。
海苔の佃煮、塩昆布、塩辛茶漬け、なめ茸、鶏と大根の煮付け。
こうゆうのって店では食べられなかったり、在っても突き出しで偶然少しだけ出てくるって感じで、食べたい時に食べたいだけ注文ってのは無理。


外国人に「日本で寿司を食べました。美味しかったです」と言われたりすると、「いや、今どき何処でも食べられるし、、、」と思ってしまう事もある。
もちろん日本の寿司は美味しいよ。
それが例え回転寿司でも持ち帰りの寿司でも。
でも、海外のそれなりの店でも同様のクオリティで食べられる時代です。
「いや、全然違うよ」と言われると、ワタシはそこそこで満足してしまう「違いの解らない」良コスパ人間なので、返答のしようが無いよね。
日本で食べて「美味しかった」と言われるのはもちろん嬉しいのですが、それってやはり「日本で」が大事なんだと思う。
昔から言われてることですが、我々消費者は情報に踊らされ、情報を食べて、情報を美味しいと感じるのです。
値段設定に10倍の開きがある寿司を食って、10倍美味しいと感じるかというと、そんな事は無い。
店の名前という情報、ネットで取り上げられたという情報、内装から伝わる高級感というシグナルなんかに払ってるとも言えるのです。
それで良いと思う。
板前さんの美しい所作は視覚情報以外の何ものでも無いけれど、それで気持ち良く食事が出来るとなれば、美味しくも感じる。
店員さんの素晴らしい対応も同じ。
態度や対応の悪い店員さんのせいで気分が悪かったりすればご飯も美味しくなくなる。
値段が高いと相対的に態度の悪い客も少なくなるし、それも食事の美味しさには一役買う。
昔、タイのバックパッカー御用達の宿が値段を上げたところ、客層が良くなって、経営が急拡大したなんて話でも解るように、値段と客層は連動する。
同じように上で書いた外国の人にとっては「日本で」という情報は非常に大切な要素だった訳です。


さて、ここまで色々と無駄に書きましたが、何が言いたいかというと、結局のところワタシは「何でもない日本の食事に飢えている」ってことです。
もう三年ほど日本に帰って無いですしね。