お隣に届く

アマゾンで買った荷物がお隣の家に届いていた。

 

滅多に無いことですが、都会にのマンションとかだとどうなるのかなと考えてしまった。

「秋深き隣は何をする人ぞ」

そんな芭蕉の句が思い出される。

隣に住む人がどんな素性の人間かも分からずに壁一枚のみを隔てて生活していることの怖さみたいなものは、ワタシのような田舎者にはどうやてもつきまとう。

芭蕉はそんなことを思ってこの句を作ったわけでは無いでしょうけれど。

 

尾崎放哉は消えゆく自分の命の灯を思い、その寂しい現実を「咳をしても一人」と詠んだ。

 

そんな寂しさがワタシに有るわけでも無いのですが、女性が接待してくれるお店で飲んで楽しくなってしまうのは寂しさの現れのひとつなのでしょうか。

4セットも行ってしまった。

その後に知り合いのバーに顔を出し、隣りに座った女性客と、なんでもない会話を楽しむ。

その人はジャズシンガーだと言っていた。

隣にどんな人が住んでいるのかを知らず、それを怖いと思ってしまうくせに、バーで隣り合わせた人と仲良く話をすることは出来てしまう。

この違いって何なんですかね?

 

知らないことの怖さであれば、本名かどうかの確認も出来ないし、その人の語りが真実かもわからないっていう意味では、都会のマンションに住む隣人と同じ。

 

不思議です。

 

ともかく、隣家を経由して届けられた荷物は空気清浄機でした。

軽く使ってみましたが、花粉による目の不快感は減った感じがするので、それなりに有用なようです。

でも、くしゃみはまだ出たので、どこまで効果があるかは検証する必要がありそうです。