眼の毒、口の毒

たまにはスリランカのカルチャーを考察するのも悪くないと思って書きます。


スリランカには「眼の毒、口の毒」という言葉がある。
日本の「眼の毒」とは少し意味合いが異なる。


例えば日本では、友人がラインとかで美味しそうなご飯の写真を送ってきた時に使ったりしますよね。
ワタシは海外に居るので、その料理を食す事はできない。
そんな時に言います。
「この写真は眼の毒だな」


ここにはどういった背景があるのか?


食べる事の出来ない物の写真を見て「いいなぁ」という感情が生まれる。
嫉妬と言い換えてもいい。
その嫉妬の感情を良くないものと捉え、それが生まれる原因となった写真を見ることは、嫉妬という毒を育む土壌であると考えて居るのでしょう。


つまり自身の悪感情を産む原因を「毒」と見なしている。


翻ってスリランカはどうか。


シンハラ語で言うところの「エスワハ カタワハ」という言葉なのですが、これは嫉妬を持った人が、その感情のまま自分をみることで害が生じると捉える。
嫉妬を含む視線や言葉には毒があるという考え方です。


例えば家を増築している現場。
そこに良く置いてあるのが「案山子」のような人形さん。
これは増築に対して、嫉妬のこもった視線を他人から浴びせられることで悪いことが起きると考え、それを案山子に引き受けてもらう意味がある。


赤ちゃんの額に黒い点を描くのも、可愛さを減じて嫉妬を生じないようにする為のもの。


「可愛い赤ちゃんねー」という嫉妬のこもった(と考える)言葉が発せられる機会を減らすのです。



ほぼ同じ言葉なのに、その示す意味がこんなにも違うというのは面白い事です。