公平性の担保

身長165cmで55kgの人が居るとします。
まぁ普通?
少し痩せ気味ですけどBMIでみると20.2で適正体重からはマイナス4.9kg。


181.5cmで73.2kgの人はBMIで22.2。
適正体重からプラス0.73kg。
ほぼ理想的な感じですね。


ただ、受ける印象は随分と違う。
片や小さくてヒョロ?
もう一方はスタイルが良いね。


でもこれ、単純に身長と体重を比例させただけ。
同じ構造のものであれば、重さは高さの3乗に比例する。
181.5/165=1.1なので55×1.1×1.1×1.1=73.2kg。


やっぱり頭の大きさとかの問題で、背が高いとバランス良くなるって事でしょうか?


別の話として、筋力は筋肉の体積では無く、その断面積に比例するらしいんですね。
例えば、先程の165cmの人が自分の体重と同じ重さでベンチプレスできるとします。
そのまま181.5cmの人に適応すると、今回は2乗に比例するので、55×1.1×1.1=66.55kgとなる。
体重の73.2kgと比較すると91%ほど。
本来は、これで同じ重量が扱えているという事になる。
181.5cm73.2kgの人が体重の1.0倍を挙げるのは、165cm55kgの人が1.0倍を挙げるより、大変なこととなる。
体型としては相似の関係なのにね。


以前に100kgを持ち上げられると言っても体重による不公平が在るので、自分の体重の何倍が持ち上がるか?という指標で比較したほうが公平だと言ったのですが、実際にはその比較では身長が高いほうが不利なんです。
一般的に、背が高いほうが手も長いのでバーベルを持ち上げる移動距離も長くなり、それも不利に働く。


単純な挙上重量で比較するのも、体重の何倍かで比較するのも、どっちもどこかの誰かにとっては公平では無いって事ですね。


ウェイトリフティング競技で体重別にクラス分けしてるのは、まぁそれが一番公平感が在るっていうことなんでしょうかね。


トランスジェンダーで初のオリンピック出場選手となるニュージーランドの重量挙げ選手。
これも、ねぇ。


一応、オリンピック規定では資格として一年前からのテストステロン抑制などを課していて、それを満たせばOKってことになってるらしいですが、そもそもこれが問題。
男性としてのホルモン支配下で長年に渡り生活していた事で、生まれながらの女性よりも骨格上では明らかに競技者としては有利。
それを一年のホルモン抑制で「問題なし」とするのは、ちょっと無理があるね。
同じ条件のもとで競い合うからこその感動がオリンピックの醍醐味なのでは?


昔、ラジオトーク伊集院光が言ってた事だと思うのですが「足が早いのを競うなら犬とか馬とか走らせちゃ駄目なの?」みたいな話。
トランスジェンダーの人を犬とか馬だって言いたい訳ではありません、念の為。
犬にはドッグレース、馬には競馬。
それぞれの活躍の場が用意されている。
ヒトにはヒト。
男には男、女には女。
体重の重いヒト、軽いヒト。
年齢制限もそう。


だってオリンピックの100m走に犬が出たらズルいでしょ?
例えば多摩川に出没したタマちゃん。
住民登録されてましたよね?
あのタマちゃんを養子縁組ろかしてさw
強引に「人間です!!」とか無理かな?
恐らくはオリンピック規定に「人間の定義」とか書いて無いでしょ?
そしたら国家がタマちゃんにヒトとして認定を出してですよ、戸籍とか与えちゃえばイケるでしょ。
あんまり想定してないだろうから、国籍を与える対象者も「ヒトであること」とか書いてないかもよね?
書いてあったとしても、じゃぁ「ヒトとは?」みたいな哲学的な話になれば、なんかゴリ押しできそうじゃない?


バカな話に聞こえるかも知れませんが、今回の事と大筋では違わないと思うのです。