I Love Youの日本語

今、スリランカでは日本語学習の熱が高まっているようです。

大学入学資格検定の科目として選択できるようになった(なる?)ことも影響しているのでしょう。

あとはスリランカに見切りをつけて海外に就労の機会を求めるときに、やはり日本に出稼ぎに行って稼いできた先人たちの歴史があるので、日本を選択肢に入れる人も多いようだ。

正直言って、日本は出稼ぎに行く場所としては魅力が無くなってきていると個人的には思うけれど。

 

で、例に漏れず妻の職場でも日本語学習意欲が高まっているとのことで、学習者である同僚たちが、日本人を夫に持つワタシの妻に日本語の成果を見せに来るとか。

ちなみに妻は日本語初心者なので、日本語の良し悪しの判断はでき無いのですが、「こんにちは」と一言話せさえすれば「日本語が話せる」と履歴書に書くようなお国柄ですので、妻本人が日本語は話せないと否定しても、あまり意味をなさない。

 

で、外国語学習者のあるあるですが『「I love you」は〇〇語でどうやって言うの?』という話になる。

ワタシは常々妻に言っていた。

日本語に訳せば「私はあなたを愛しています」となるけれど、そんな不自然な日本語は小説やドラマといった創作物の世界に存在するだけで、日常生活で使う人は居ない、と。

妻も聞かれたらそう返していたわけだが、あまりにも「わたーしは あのぁーたを あいすてまーす」と初学者がいうものだから、どうも不安になったようでワタシに確認してきた。

 

 

ワタシも一応は日本語母語話者ですし、英語、スペイン語シンハラ語マルチリンガルではある。

そんな一応日本人が「使わない」と言ってるのですから、自信を持って欲しいもんです。

「私はあなたを愛しています」が日本語なのかどうかと問われれば、間違いなく日本語です。

でも、和訳であって自然な日本語ではない。

まともな日本人がこの台詞を言うことって、人生に一度有るかって程度ではないでしょうか?

例えばプロポーズとか。

普通は「結婚してください」で済んでしまうとは思いますが、人によっては言うかも?といった程度。

日本語は文脈や場、状況によって意味が変化するハイコンテクストな言語の代表格。

状況によって意味が変化するということは、逆に言うと言葉によって状況が設定されることも多いということ。

 

朕は国家なり」と言ったのはルイ14世

 原文は「L'État, c'est moi」ですので本来は「国家とは朕のことだ」となるのでしょう。

そこは意訳というか、訳すときに威厳を足されたと考えるべき。

これを英訳すると「I am the State」でしょうか。

 

この「I am the State」という言葉だけを提示されて、その背景を確定させることは非常に難しい。

戦争ごっこをしている子供が「俺、アメリカね。お前はロシアやれよ」という感じもする。

ですが「朕」という一人称代名詞を使うと、この発言が皇帝や絶対権力を持つ王のものだと言うことは自明。

ここに「私」という一般的に公的表現とされる一人称代名詞をつかうと、とたんに意味をなさなくなる。

「僕」や「俺」と言う表現のほうが、上の例のように推測を働かせることができるので、まだまし。

「自分」にしたらどうだろう?

これも「自分が国家である」なのか「自分、国家な」で主語が変化する。

前者なら自称ですが、後者なら関西圏では二人称になり得る。

 

 

こんな感じで、非常に複雑。

場にあった、状況にあった言葉を選択するハードルが非常に高いのです。

タイのタニヤという地区には日本人を相手にしたカラオケや飲み屋が林立している。

そこで女性を練習相手にしてタイ語を覚えた日本人男性は、タニヤ大学で語学を勉強したと揶揄される。

話せば分かってしまうのだ。

なぜならタイ語には女性言葉が存在するから。

つまり、男なのに女性言葉を不器用に操ることで、女性がサービスするお店に足繁く通っているとバレてしまい、それが揶揄の対象となるのです。

ちなみにタニヤ大学の学費は、それなりにお高いです。

 

日本語もそう。

そのあたりのニュアンスはノンネイティブには難しいし、正直言って、慣れる以外には解決方法がない。

例えば、日本語教授法の資格もなく、日本の工事現場で日本語を習得したような人が教えていたとしたら、とんでもない日本語を学ぶことになる。

一応、敬語がまともに話せるかである程度の学習背景は推測できますが、初学者にそれを見抜けと言うのは無理な話ですし、妻には日本人以外からなら事前に日本語を学習する必要はないと伝えている。

それなら「ひらがな」「カタカナ」「数字」「あいさつ」だけで良いので、しっかりやっておいたほうが断然良い。

以前、日本に留学経験のあるスリランカ女性に話しかけられた。

一応、こちら(追記:スリランカの意)で大学の日本語学科も出ている。

その時の会話で今でも覚えているのが、ワタシの妻を見て「あなたの妻ですか?」と質問されたこと。

これも「私はあなたを愛しています」と同じで、間違いなく日本語だし、意味も解る。

ただ、日本語として不自然だというのは日本語母語話者なら一発で分る。

 

「〇〇さん」という敬称を「Mr.もしくはMrs.など」と訳す危うさもよく感じる。

例えばMr.というのは、それ単体でも使える。

名前を知らない人への呼びかけなどでね。

それが流用されて「San、ちょっと良いですか?」なんて使い方をするスリランカ人も散見された。

最初に聞いたときの違和感は凄かったです。

年上の女性から呼びかけられたので、ワタシのことを息子(Sun)呼ばわりしてるのか?って思いました。

 

 

スリランカ人である妻に、この難しさを伝えるのにはどうしたら良いか。

そこで持ち出したのが、お坊さんの例。

お坊さんしか使わない名詞や動詞というのがシンハラ語にはあるのです。

食事という意味を表す言葉も一般人とお坊さんでは異なる。

お坊さんが使う言葉を一般人が使ったら、どう感じるか?

シンハラ語としては正しいけれど、不自然さを感じるよね?

あと、書き言葉ね。

ニュースなんかでは書き言葉を話すことも有るけれど、一般的には活字でしか使わない単語というのもある。

シンハラ語初学者が初期に習う単語であるイスコーレ。

schoolから来ていて、意味は学校。

ですが、例えば書類で出身校を書きなさいと聞かれるときなんかは、パーサルとなっている。

こうゆうの、意外と多いです。

女子高生に「どこに行くの?」と聞いたら、「がっこー」と答えるか「高等教育過程に行ってまいります」と答えるかって感じですかね?

どこのハイカラさんですか?ってなるよ。

 

長くなりましたが、妻にはひらがなとカタカナの読み書きを重点的にやってもらえれば、まずは充分。

そこから数字、挨拶、簡単な名詞。

文法とか会話とかのレベルではないんです。

妻は違いますけど、決まったフレーズを幾つか言えるだけで「日本語初級会話が可能」とか言うスリランカ人には、それで日本に行って一ヶ月でも良いから生活できるかを問いたい。

話せるってそうゆうことですから。

「言える」と「話せる」は違う。

で、会話の上達は、遠回りのようでも文字を覚えることからやったほうが良いというのがワタシの持論。

 

有用そうなYoutube動画を妻にはシェアしたので、通勤時間にでも有効に使って自習してくれたら良いと思う。