不幸の再生産

大阪でビルの屋上から飛び降り自殺した男子高校生。
その巻き添えで、下を歩いていた女子大生が重体。


そして今日になって亡くなった。


なんとも遣り切れない。


自殺した高校生も可哀想ではある。
誰にも相談出来ず、他人への配慮を気にかける余裕が無いほど追い詰められていたとも考えられる。


しかし、その一瞬で前途ある女子大生が命を奪われたと言う意味では、高校生は自殺する直前に他殺したということ。


被害者から加害者になった訳だ。


そして、不幸にも亡くなった女子大生と一緒に歩いていた友人が居るのですが、この人も今後の人生に大きな禍根を残すことになる。


集団自殺で生き残った人にもあることだけれど、なぜ自分だけ生き残ってしまったのかと呵責の念にとらわれることが多い。
今回の場合、一歩間違えば自分だったかも知れない。
自分が、もう一歩外側を歩いていれば友人も助かったかも知れない。
買い物に付き合ってと頼まなければ、、、。



自分を追い込んでしまう要素は、幾らでも出てくる。


亡くなった女性は、本当に不運でした。
ご家族も、到底納得は行かないでしょう。
自殺した高校生のご家族も、悲しみに暮れる余裕も無いと思う。
そして一緒に歩いていた友人のケアも必要。


本当に誰も救われない。