コメント文化②

昨日のつづき

コメントが攻撃的になる理由。

一般的に言われているタイピングの億劫さからくる短文化や、匿名からくるマナー欠如以外にも理由はあるのでは?という話。

 

①読解力の低下

何かに対してコメントをして、それがインターネットの海に放流されるということが当たり前の時代になると、いかに早くレスポンスをするかが重要になってくる。

コメントが早いほど大きな反応が得られるから。

これは承認欲求につながることで、得られる満足度が大きく異なることから、当然の帰結

となると、内容をしっかりと咀嚼している時間はない。

結果、トンチンカンなコメントを残してしまい、それに対する指摘を生じさせる。

良かれと思って指摘したことに対し「余計なお世話」と思う人もいるし「お前が間違ってる」と感じる人もいる。

これがコメントが荒れていく理由の一つ。

 

②世代間のギャップや、生育環境の違い

昨日のすれ違いコントでは無いですが、言葉の意味やよく使う語彙は世代によって育った環境によって異なる。

YouTubeなんかの様々な世代が集う場で短文でのコミュニケーションをする場合、この事は大きな障害になる。

共通認識がそれぞれ違うのに、異なった定義をもとに議論するのは無理な話。

互いに「こいつ何もわかってねぇ」となって相手を見下していくのだ。

字面では感情は伝わりにくいし、丁寧に伝えていても慇懃無礼だと感じる人も居ることでしょう。

 

③コメントに求めることの差

そもそも、コメントに求めていることも人それぞれ。

単に思ったことを書いているだけで、誰かからの反応を欲しいとは思っていない人。

自分のコメントに「イイね」とか好意的なリプライが欲しい人。

議論したい人。

間違いを指摘したい人。

言い負かしたい人。

それが一つの場に集っているのですから、それは荒れますよ。

 

 

昨日の、ネットミームを実際の会話で使う人の話に戻すと、②に当てはまるのかな。

自分のネットコミュニティで通常使用されている言葉を、他のコミュニティで使うと、それは場違いな言葉になる。

ロシア人コミュニティに飛び込んで、「おそロシア」とか日本語で言わないでしょ。

これと同じことをやっているのです。

同じ日本語だからという勘違いや、甘え、配慮の無さです。

これはマスコミも同じで、キー局というのは大東京圏をターゲットにしているので、Suicaとかの登場時も田舎の人は「なんだよそれ」って感じでしたし。

でも、これも仕方ない。

バラエティでSuicaのあるある話をする時に、毎回毎回Suicaの説明を入れることはできないし、そんな冗長な番組作りなんて無理。

例えそれをしたところで「そんなことぐらい知ってるわ、バカにするな」という人も一定数発生しますし、ね。

万人に向けたオープンなコミュニティや創作物というのは、どこかに限界が来る。

その限界をどこに設定するかもそれぞれなのですが、人間は自分のものさしでしか物事を判断できないので、自分の知っていることを相手が知らないと「常識がない」と感じてしまう。

多様性とか言う言葉を口にしながら、自分の常識でしか判断できない我々人類は、矛盾の塊。

 

なので、コメントする場合は少し気をつけないと、ね。

 

自分の中でも一応のルールは有る。

①感情で書かない

②相手が求めている回答になっているか

③文脈によって別の意味に解釈されないか

④思い込みで書いていないか

⑤そもそも、書き込む必要があるのか

 

って感じで、結局書かないわけです。

 

ひろゆきが人気になった影響で、少し斜に構えたコメントがキャッチーとされるようになり、世は総評論家時代に突入した(自分も含め)。

ひろゆき自体が掲示板文化の立役者ですし、なるべくしてなったという感じはしますが、付け焼き刃で対応する人たち(自分を含め)を目にすると共感性羞恥心を感じてしまう。

 

 

 

なんでこんな事を書こうかと思ったのかというと、You Tubeのコメント欄で、どれ一つとっても心がざわつくコメントの無いものが無かったから。

じゃぁ見るなよ!!って思うかもしれませんね。

見ていたのはbuck numberのクリスマスソングという歌のMV。

ずいぶんと時期外れな歌を聞いてるんですねという感想はもっともですが、とにかくワタシのコメント閲覧目的は「みんなはどうゆう感想を持ってるのかな?」とか「歌詞をだれかが載っけてくれてるかな」とか割りとフラットな理由。

もちろん普通に「素敵な歌」っていう感想が多いのですが、そこで見つけたのが「クリスマスって言葉使わずにクリスマスソングを歌えるback numberが大好き」って言うコメント。

それには1000を超える「イイね」が押され、14件の返信があった。

正直、頭をかしげたくなった。

コメント自体は肯定的なのですが、曲名がクリスマスソングですしって言う感想を抱いてしまったのです。

興味本位で返信コメントを開くと

1 back numberはまじで天才

2 題名にめちゃくちゃ入ってて草

3 >2 は?

4 >2 歌詞のことだろ?

5 ネタにマジレスするな上二人

6 何がネタなのか最近わからない

  ネタって言えばマジレスやめろで終わるし本当にムズいけど、

  コメ主の言ってることと筋違いだからやめよー

7 >5 何でもネタって言えば済むとおもってて草

8 >6 だねー

9 >2 いや、わかってるけど笑っちゃった

10 そりゃタイトルにクリスマスソングって入れることで刷り込みしてるから

以下略

 

この流れが、ワタシの感じているコメント文化を端的に表していて、非常に興味深かった。

まず、ちょっと?なコメントを主が投稿。

それに対し、1000を超す「イイね」がついていることに??となる。

1は「イイね」をするだけでは無く、それを肯定したい気持ちが強く同意のコメント。

2はワタシと同じ感想を持ち、思っただけではなくコメントをする。

3は心情的にはコメ主や良いねを押した人、1なんかと近く、ただ少し攻撃的な人。

4は3に乗っかって油を注ぐ人。

5は2に近く、コメ主が2のようなツッコミを誰かが入れることまで期待してコメントを書いたと思っている人。

6は、基本的には傍観者の立場なのですが、良識人代表を気取っている人。

7は6のコメントを受けて5が深読みしていることをいじる人。

8は6に同意だけれど、イイねでは治まらず自己主張したい人。

9は2に同意だけど、「私も思っては居たけど」というニュアンスを足すことで、その気の利いたコメントは私のものでもあるという気持ちがある人。

10はリプライの速さで2に負けたのが悔しくて、でもなにか言いたい人。

 

すごくイヤラシイ見方をしてるのは自覚していますが、コメント欄でよく見るタイプの類型がきれいに組み込まれていて、なんとも言えない気持ちになったのです。

 

ワタシはコメントしませんが、自分自身は10に近い一番嫌なタイプの人間だと思っています。

性格悪いですねー。

 

なんだかんだと書きましたが、実際の問題として訴訟になったり、傷ついて自死する人も居たりしますので、気をつけたほうが良いよねとは思います。

ワタシの出演していたスリランカのテレビドラマでも、Youtubeにシェアされているものには酷いコメントも多く書かれてました。

あんなものは便所の落書きと一緒で気にしないのが一番なのですが、それでも自分のことを悪く書かれて何も感じないということはない。

ネットリテラシーの低いスリランカではこういった事は問題にすらされないので、差別的なコメントとかも多く、平気でユーザー名に本名を使ったり、Facebookのアカウントがリンクしてあったり、、、。

知らないって怖い。

 

 

つづく。