桐島聡の写真

ワタシの産まれる前年の事件ですから、48年にも及ぶ逃亡生活。

 

インテリが拗らせてしまって、日本帝国主義がアジアで行ってきた悪行を清算すべきとの思想の下、帝国主義の象徴となるものの破壊に手を染める。

後の「東アジア反日武装戦線」の誕生。

歴史を学ぶ上で使われたのは「朝鮮人強制連行の記録」という本。

朴慶植という在野の歴史研究家が書いた本ですが、事実の誇張、歪曲が目立ち、これを一次資料とした報道によって日韓関係は大きなダメージを負ったとされる。

そんな本を教科書にしていれば、曲がった思想を育んでしまうのは想像に難くない。

当時、海外に進出していた商社やゼネコンを東アジア侵略企業としてテロの標的とした。

東アジア反日武装戦線」という名称を定めはしたが、これは同じ思想の下で活動する全ての活動家が共有して利用する普遍的な名称として存在すべきとの考えから、自分たちのグループを特定する名称が必要となり、結果「狼」と決めた。

 

もう解りますよね。

完全に自己陶酔に陥っている状態です。

 

その中で起きたのが「連続企業爆破事件」です。

 

そして海外逃亡を含めて50年近くの潜伏生活。

社会保険の世話になること無く、生活するのは大変だったに違いない。

海外にも行っていたという事なので、偽造パスポートも必要。

それを作るには、かなり特殊な人脈が必要だっただろう。

戸籍を売った人間、それを仲介する組織。

当時はそういった協力者が多く居たのでしょう。

ほとぼりが冷めて日本に帰国。

日本で生活するために就職も必要だった。

保険証も作れないので、そういった後ろ暗い人が集まる会社に住み込む形で就職。

今もそうですけど、当時はもっと抜け道が多かったはず。

 

そんな話を母親とするつもりで話しかけたら「70歳って言うには随分と若い人だね」と言われた。

 

そりゃぁ、二十歳前後の指名手配時の写真ですからね。